鎖国時代、唯一オランダは幕府とキリスト教布教活動をしないと約束し、中国と共に長崎港の出島で交易を行うことが許された。さらに、対馬は朝鮮と、薩摩は琉球(当時は独立国)そして松前はアイヌとそれぞれ交易をしていた。これらの交易を通じて諸外国の文化や技術が日本に渡来したことは周知のことである。鎖国から開国へと時代が変わりつつある中、イギリス、オランダ、ポルトガル、イタリア、ロシア、アメリカ等の諸外国が日本に開国を迫り、来訪の表向きな目的は交易であるが、実のところ植民地の開拓であったのではと思う。
1835(天保6)年晴雨計と寒暖計がオランダ政府から幕府に贈られ、この二器を江戸天文台内(1690年本所に築く)に据え付け、その年の8月より毎日1回定時観測をしていた。天文方を知れば、贈られた気象測器が江戸天文台に設置したことは理解出来よう。この他、長崎港出島、那覇港、函館、神奈川、横浜港、新潟港、大阪等でも以前から外国人よって観測が行われている。この観測に日本人が直接関与したかは定かでない。この中には出島でオランダ人達が観測した結果(1845~1885)はオランダ王立気象研究所に、シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold:ドイツ語)らによって観測した結果(1819~1828)はドイツのボッフムのルール大学に収蔵されているとの報告(地理学評論75-14,P901-912)がある。江戸時代末期の気象観測は、いずれの観測場所も海岸付近に設置されていることから、交易に伴う航海に供することが主目的であろう。近年、埋もれている観測資料が多くの研究者により発掘されつつあるが、使用した観測機器を示す資料は極めて少なく詳細はわからない。観測機器のほとんどは、15 世紀以降西欧で物理学や気象学の発達に伴って発明され、その恩恵を受けて不完全ながらも観測機器を利用した気象観測へと、緩やかに変貌したものと思われる。
次回以降は気象観測について紹介の予定。
Mest 渡邉好弘