上層気象観測は観測要素と観測対象高度等の目的によって使用する観測器材を選択することになる。気象学の発達に伴い上層気象観測が不可欠であったが、観測手段の乏しい時代では地形を利用して山肌や富士山頂や筑波山頂等の山岳の気象観測が行われていた。1920(大正 9)年に高層大気を観測する専門機関の高層気象台が筑波に設立され、様々な観測が行われた。その中で、初代高層気象台⻑ 大石 梅三郎(1874〜1950)は1921年からゴム製バルーンと測風経緯儀(theodolite, セオドライト)で上層風観測(パイロットバルーン観測)を開始した。この観測でバルーンの上昇速度と高度角から高度別の水平距離を算定し、それらを纏めた測風気球観測常用表(戦後複製し市販された)を完成したと云われている。大石 台⻑はこれらの観測結果を 1926 年に世界に向けエスペラント語で発表したが、英語でなかったため注目を集めることはなかった。その後、1935 年ドイツの気象学者ハインリッヒ・ザイルコフ(Heinrich Seilkopf;1895〜1968)が対流圏上層の強い⻄風の流れを発見し「ジェット気流」と命名した。このジェット気流は大石 台⻑の報告と同じとされている。また、航空界も高高度⾶行中これらの偏⻄風に遭遇したものの、時世柄外部への報告はしなかった。戦時中、米軍の大型爆撃機が冬季に日本付近に⾶来した時、時折対地速度が大きく増減するとの話を耳にしているが報告書の形で残されていない。
戦後、国⼟復興と高度経済成⻑に伴い各地で大気汚染や公害が発生し、国が本格的対策を始めた。これらは気象関係や環境行政関係の各種報告があり、それらを参照されたい。1960 年代半ば以降大気汚染の挙動を解明するために、地表面に近い上層風の立体気象観測が必要となり、気象調査を主務とする⺠間気象業者が担当することになった。しかし、⺠間には要望に対応する観測器材や観測技術はなく、上層風の観測を経験した研究機関や気象官署の方々に頼るしかなかった。観測理論等は講義等で何とかなったが、問題は上層風に資する観測器材の調達で過去に観測を行っていた気象機関や研究機関等で眠っている観測器材を探して調達した。しかし各機関にあるセオドライトは⻑期間倉庫に保管されていたため、望遠鏡に大きな問題はなかったが水準器の多くは狂っていた。学生時代、測量実習で測量機器の水準器の調整経験者がおり、その経験を思い出しながら水準器の調整をした。通常、地表面に近い上層風の観測には気象用バルーンの上昇速度が 100〜200 m/min になるように水素ガスを充填し、気球重量は 20 g にした。放球と同時に⼀定の時間間隔(上昇速度を考慮して高度 50〜100 m 毎)で方位角と高度角(仰角)を読取り、読取り値と測風気球観測常用表を利用して高度別の風向風速を求めた。その後、タマヤ(株)で調整の簡単なセオドライトを販売するようになり、最近は人手を介さず高度別の風向風速を算出することも可能となっている。気象用バルーンは(株)気球製作所やトーテックス(株)が製造販売している。夜間は注水電池で豆電球を点灯しバルーンに取り付けてその豆電球をバルーンの代わりに追跡して観測したが、目視観測のため昼夜問わずバルーンが雲の中に入ると観測不能となり「雲中」で観測は終了となる。小規模に安価で観測可能な方法であるが、現在はバルーンの充填ガスは安全対策上からヘリウムガスに代っている。また、ソーダ―やレーダ、レーザーそしてウインドプロファイラ等のリモートセンシング技術を利用した観測方法に代わった。
Mest 渡邉好弘